リオ五輪U23代表と過去の五輪チームを比較してみた【北京編】
U23日本代表の歴史を振り返っています。今回は2008年北京
リオオリンピックに向けたU23サッカー日本代表の選手たちは過去の国際大会において結果を残せず、A代表に飛び級で呼ばれる選手が少なく、Jリーグでレギュラーも掴めず試合にも出られない、小粒だ!谷間だ!と厳しい目線を送られてきました。
なぜA代表に呼ばれないのか、Jリーグのレギュラーが少ないのか。。
いやいや、本当にA代表に呼ばれていないのか、Jリーグのレギュラーは少ないのか、歴代のオリンピック出場チームと比較してみましょう。
前回と同じく、リオ五輪U23日本代表選手のA代表デビュー状況と昨年度リーグ戦出場状況
A代表デビュー済は、遠藤航、南野拓実、久保裕也、浅野拓磨の4名(オリンピック本番まで半年を残した時点での数字)
前年度所属チームでのレギュラーは、22名のうち10名(前年度リーグ戦で7割以上出場者をレギュラーとみなしました)
第四回目は北京五輪のU23日本代表選手と比較
2001年にアルビレックス新潟(J2)の監督に就任すると、2003年にはJ1へと昇格を果たした反町康治監督。2年連続の残留を果たした後に退任し、北京オリンピック出場を目指すU23代表監督に就任したのは2006年5月のことでした(オシム監督のもとA代表コーチも務めていました)。
2006年ワールドカップでは黄金世代が無残に散り、希望にあふれた日本代表の未来が砕け散った反動からか、ライトなファンは去り、メディアはU23代表を「谷底の世代」と揶揄しました。差したる注目も浴びぬまま敗戦ばかりがクローズアップされた悲しい世代だったと思います。
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なぜ黄金世代は敗れたのか。サッカーの神様ジーコが当時を赤裸々に語ります。
黄金世代が全盛期を迎えるなか日本のサッカーファンたちは、近い将来自分たちが世界一のチームになれると信じていたのかもしれません。ドイツワールドカップ惨敗という結果を受け、浮き足立っていた自分たちを戒めるかの様にファンやメディアは代表チームに厳しい目を向け始めました。
当時の日本の実力としては妥当な結果で北京五輪最終予選を突破したにも関わらず、上述のとおり、北京世代は「谷底の世代」という最低なネーミングを頂戴していました。それでも選手の力を見極める能力に定評のある反町監督は当時のU23メンバーを信頼し、北京五輪には遠藤保仁を招集する意外、オーバーエイジを使用せずに若手の成長を促しつつ勝利するという強い意思を示していました。
北京オリンピックの戦績と敗因
予選最終戦までもつれた末のアジア予選(サウジアラビアに0-0で引き分け)を首位で突破したものの、北京五輪本戦は無残な結果に終わりました。
本田圭佑、長友佑都、岡崎慎司、香川真司、吉田麻也、内田篤人。
黄金世代を霞ませるほどの実力を備えた現日本代表の主力たちが若かりし頃、彼らは3戦全敗(アメリカ0-1、ナイジェリア1-2、オランダ0-1)でオリンピックの舞台を去りました。コンディションが優れない日本の選手たちは終始リズムにのれず、体格のいい相手に真っ向勝負を挑んでは跳ね飛ばされるという肉弾戦に終始し、悪い意味で正々堂々と戦い完膚なきまでに叩きのめされてしまいました。コンディション不良により戦い方を見失ってしまった。そんな大会だったと思います。
結果的に遠藤保仁は体調不良により招集できなかったわけですが、恐らく遠藤がいれば、少なくとも戦い方は適切な手段が取られていたでしょう。
最終戦のオランダ戦で勝点1を狙う反町監督の考えを、本田圭佑が後日否定したビッグマウスエピソード(「それはごもっともだけどオレの考えは違った」発言)も当時世間をにぎわかしましたね。
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北京五輪U23日本代表選手のA代表デビュー状況と前年度リーグ戦出場状況
谷底の世代と揶揄されていた世代でしたが、北京オリンピック開幕前にA代表デビューを果たしていた選手(A代表デビュー列が黄色)は6名いました。
VVVフェンロ所属の本田圭佑二、カターニア所属の森本貴幸、明治大学に在籍した長友佑都、法政大学の本田拓人を除く14名がJリーグのチームに所属していました。2007年度のリーグ戦でレギュラー(7割以上出場とみなした)として活躍していた選手は、学生2名を除く16名のうち8名でした。
上述の選手たちに加え西川周作、森重真人と、各ポジションに能力の高い選手たちが揃っていました。コンディションが良ければ、遠藤がいればなど、たらればを言い出せばきりがない訳ですが、ちょっとした歯車の食い違いがチームを崩壊させるのがサッカーです。
この無残なまでの肉体的な弱みを露呈させる敗戦が彼らを劇的に成長させたかは解りません。ただ、この敗戦を乗り越えた選手たちが強靭な肉体を具備し、日本代表を背負っていく存在となっていったわけです。
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最後にまとめ
北京世代はリオ世代と比べるとレギュラー選手もA代表デビューした選手についてもやや多めになっています。(リオ本大会までに1~2名が代表デビューを果たす可能性もありますかね)
【北京世代】A代表デビュー18名のうち6名 レギュラー16名のうち8名
【リオ世代】A代表デビュー22名のうち4名 レギュラー22名のうち10名
黄金世代の起こした最後の波風により正当な評価がなされていなかった世代でしたが、本田圭佑を中心に強い向上心を持ち、若くして海外へ出ることの重要性が説かれるキッカケとなった大会となりました。