将来の困難に備えるということ なでしこ 海堀あゆみの引退

2011年3月11日

東日本大震災から早いもので5年。

当時僕は仕事をしていました。ごくごく普通のサラリーマン。
 
大きく世界が揺れ、建物は軋み、一旦落ち着いてもその揺れは幾度か繰り返されました。外に出ると駐車されている4WDの大きな車が、隣の車にぶつかるのではないかと感じるほど、跳ねるように左右に揺さぶられていました。

日本は地震が多く、阪神淡路大震災関東大震災の様に甚大な被害を被った歴史があります。地震が人の命を奪う災害という感覚は当然持ち合わせていました。ただ当時、地震の後に津波が来るということを警戒していたかというと、そんなことは無かったかと思います。

耐震化、免震化という文明の利器により地震による被害はある程度抑えられる様になってきています。緊急輸送用道路が確保されつつあり、個々人もしくは災害用備蓄も避難所となる学校の体育館に常備されるなど、いざという時に生き延びる、助かるための環境整備は進んでいます。ただ、あの津波が来たらと考えると今なお人は無力としか言いようがありません。

 
僕は津波被害のあった地域に住んでいたわけではありませんが、あの津波は僕の価値観を変え、特別な感情を芽生えさせました。それは、災害というものが他人事ではなく、いつか自分にも降りかかるものであるという感情です。それが一体いつ降りかかってくるのかという恐怖心は、震災から5年が過ぎた今なお僕の心の片隅に潜んでいます。
 

2011年7月17日

リオオリンピック出場を懸けた予選では無残な敗退を喫したなでしこジャパンでしたが、2011年7月17日ドイツワールドカップではPK戦のすえアメリカ代表を破り世界大会優勝を果たし、震災後の日本に勇気と感動を与えました。様々な人の思いが選手に乗りうつったとしか言いようがないほど、あの優勝は神がかっていたと思います。

2016年1月15日

その優勝の立役者のひとりとして、海堀あゆみというゴールキーパーがいたことを覚えているでしょうか。2008年から日本代表に定着し、ドイツワールドカップではレギュラーとして活躍しました。決勝アメリカとのPK戦では二人のキックをストップした陰のMVPといえる守護神です。

わずか29歳。ゴールキーパーとしてはこれからという年齢でしたが、澤穂希が引退を表明した少し後の2016年1月15日、彼女は突然の引退を表明しました。

  • 結婚をしたのか
  • なでしこで多くを成し遂げ燃え尽きてしまったのか
  • 2015年のカナダワールドカップ決勝のアメリカ戦での5失点が影響しているのか
  • 澤穂希の引退が影響しているのか
様々な憶測がなされましたが事実は異なりました。彼女は目の病気を患い、物が二重で見える状態に悩まされていたそうです。眼科医による手術を経て一旦は完治しプレーすることも可能な状態になっていましたが、結局は引退を選択することとなりました。
 

将来の困難に備えるということ

詳細は後ほど紹介するインタビュー記事に掲載されていますが、印象的な彼女のコメントがあります。
sportivaより引用

「手術を受けたことで本当に安心したし、この1年サッカーができたことをサポートしてくれたスタッフや先生に本当に感謝しています。でも……結局はまた症状が出るんじゃないかっていうこの恐怖心が自分の中で消えなかったんです」

 彼女が言う恐怖の最たるものは、試合中に再び発症するかもしれない恐怖だった。大事な場面でボールが2個に見えて勝負が決してしまっては、一緒に戦ってきたチームメイトの努力をも無にしてしまう。“味方のミスをミスにしないプレー”が海堀の目指す形であるにも関わらず、努力ではカバーしきれない理不尽なリスクがチームに降りかかることを何よりも恐れた。

「それが出てからでは遅いんです。致命傷のプレーが出てからでは……」

「何度ミスを犯してもフォワードは一度のチャンスを決めればヒーローになれる。しかしゴールキーパーは一度でもミスを犯せば戦犯となる」
サッカーの世界ではよく言われることですが、病により彼女に芽生えた恐怖心と彼女の持つ責任感とが合わさり、引退という結論が導き出されたわけです。
 
僕達は将来訪れるかもしれない何か大きな困難に対して、それに備えるということしかできません。
彼女は目の病気により訪れるかもしれない困難に対して、引退という究極の決断を下すことにより備えたのです。彼女の決断は彼女自身に振りかかる困難ではなく、彼女のプレーするINAC神戸、日本代表というチームやチームメートに振りかかる困難に対して下されたものでもあります。
そんな彼女の決断は、女子サッカーのレジェンド澤穂希の影に隠れる形となりましたが、僕は日本に栄光をもたらした彼女のセービングとチームに対する強い責任感のもと下された決断に対し大きな拍手を贈りたいと思います。