香川真司は死んでしまった

ドルトムントの王様 香川真司の誕生

セレッソ大阪からドイツに渡ったのが2010年。南アフリカワールドカップにサポートメンバーとして帯同するに留まった21歳の青年は、ブンデスリーガの名門ボルシアドルトムントに加入した。
加入1年目は、2011年1月に開催されたアジアカップで小指を骨折し、リーグ戦出場は18試合にとどまるものの、8得点をあげる活躍を見せ、極東からやって来た小さな男はユルゲン・クロップと熱狂的サポーターからの寵愛を受けた。
 
ドイツでの2年目は神がかっていた。カップ戦含め43試合17得点と大活躍。リーグ戦を制すると共に、DFBポカールカップ決勝ではバイエルンミュンヘン相手に1ゴール1アシストの活躍を見せ5ー2大勝の立役者に。
クラブ史上初の国内2冠を置き土産に、香川真司はヨーロッパ随一のビッグクラブであるマンチェスターユナイテッドに移籍を果たす。

f:id:the99:20160402105147p:plain

岡田武史氏が語るサッカー小僧 香川真司

香川真司を2010年ワールドカップの23人に選ばなかった理由を当時の日本代表監督である岡田武史氏がインタビューで答えていた。
香川は本当にサッカー小僧なんですよ。23人選ぶときに、スタッフからは選んだ方が良いのでは?という意見の方が多かった。でも彼はサッカー小僧ですから。彼には自由を与えないといけないい。自由を与えたら彼はとてつもなく輝くのはわかってた。だけど当時のチームに彼を自由に活かす為の力や余裕は無かった。彼を型にはめてしまっては絶対に力を出せない。だから申し訳ないが彼には外れてもらった。
このインタビューは2016年3月にテレビ放送されたものである。
  • 香川真司に対して大きな期待を抱いていたこと
  • 日本代表に自由な選手を置く余裕が無かったこと
ワールドカップの2年前、当時19歳の香川真司を代表に抜擢したのは岡田監督だったし、苦手なヘディングを居残りで練習に付き合ったのも岡田監督だった。大切に大切に香川真司を育てていった。

2010年ワールドカップ、日本代表が世界を相手にどういう闘い方を挑んだか。本田圭佑は強く逞しく、フリーキックでのゴールは素晴らしかった。天才・中村俊輔は常にベンチだった。大久保嘉人松井大輔は倒れるんじゃないかと思うぐらい必死で走り続けた。アンカーといえば未だに阿部勇樹がシックリくる。そんな闘い方をしたチームに香川の席は当然無かった。
だから僕は、岡田氏は当時の心境を包み隠さず誠実に答えたものだと僕は思っている。

 

香川真司は死んでしまった

話を戻そう。
香川真司ドルトムントで見せた様な活躍が出来ぬまま、失意のうちにマンチェスターでの2年間のプレーを終えることとなる。プレミアリーグ特有の展開の速さと肉弾戦が繰り広げられるなか、モイーズ監督が香川真司に自由を与えることは最後まで無かった。順応しようともがく姿は痛々しいほどで、悪い種類のバックパスばかりが目に付いてしまう。悲壮感漂うプレーヤーは代表でも輝くことが無くなっていった。
プレミアリーグでのタフな戦いを経て、香川は以前より強靭な肉体を手にし、ディフェンスの意識は格段と高まり、ライン際のスライディングでボールを搔き出す姿も様になってきた。その反面、イングランドでの成長の果てサッカー小僧としての香川真司は死んでしまった。
 

若かりし中田英寿と最後の中田英寿

かつて、中田英寿セリエAペルージャの王様だった時。「小僧」なんてネーミングは似つかわしくないけれど中田もまたある種のサッカー小僧だった。ボールを持てば自分のやりたいプレーに執着し、味方が追いつけないパスを出してはそれが年長者でもひどく罵る。
ディフェンスは必死にはやらなかったけれど、鋭いカウンターを仕掛けるためのポジション取りのためには誰よりも走った。攻撃に備えるためにディフェンスをしないことがチームのためと考えている節すらあり、香川とタイプは違うけれど「守ること以外で勝つための手段」を常に貪欲に追求していた点は共通していた。
f:id:the99:20160402110124j:plain 
photo by  Thomas Leuthard
 
そんな中田も、香川同様、ヨーロッパの強豪クラブ ASローマで大きな壁にぶつかる。フランチェスコ・トッティは当時のイタリア代表のエースであり、クラブ生え抜きアンタッチャブルな存在。実力でも劣る中田が付け入る隙はほぼ無く、カペッロ監督によりボランチへコンバートされるなど不遇の1年を経て格下のパルマへと移籍。98年の頃の様なサッカー小僧ぶりは鳴りを潜め、攻守に貢献する中田英寿という印象はこの頃から始まる。
その後も、かつての様な華々しいプレーを見せることはないまま、2006年ドイツワールドカップでは日本代表の誰よりもディフェンスに奔走する選手と評されユニフォームを脱いだ。
誤解しないで欲しいのは、僕が中田を貶めていると訳ではないということ。2006年の中田英寿は並の選手ではなかったし、今でも日本史上最高の選手だと思う。ただ一方で、ペルージャで輝いた頃の中田は最後まで戻ってこなかったとは思っている。ローマの王子様の様にサッカー小僧のままで晩年を迎えていたら、日本代表はどうなっていたのだろう。  
 

覆水盆に返らず。大人になった選手はサッカー小僧には戻れない

イングランドで自信を失った香川は、普通のプレーヤーがすべき普通のプレーを覚えてしまった。一度大人になってしまった香川真司が、ドイツ2年目の華々しいプレーを蘇らせることはもう無いだろう。今シーズンのドルトムントでのプレーも、アジアの中堅国のシリア戦でのプレーすら、もはやサッカー小僧 香川真司の片鱗はなかった。ゴールを決めたとしても、それは違う。
 
香川真司が日本サッカー界の宝と呼ばれる時期は過ぎた。
中田英寿には相手からボールを奪い取る強靭な肉体と30メートルの距離からフランス代表やブラジル代表のゴールキーパーを脅かすパンチ力、そして頭脳があった。だから、サッカー小僧で無くなったのちの中田は別のプレーヤーとして日本史上最高の選手にまでのし上がることができた。
大人になってしまった選手はサッカー小僧にはもう戻れない。香川真司は今、どんなプレーヤーを目指しているのだろうか。  
フットボールサミット第13回 香川真司取扱説明書 KAGAWAの活きる道

フットボールサミット第13回 香川真司取扱説明書 KAGAWAの活きる道

 
SOCCERSTARZ(サッカースターズ) ドルトムント 14-15 ホーム 香川真司 401335

SOCCERSTARZ(サッカースターズ) ドルトムント 14-15 ホーム 香川真司 401335